
アレッポの大モスク。シリア、アレッポ · 写真: Vyacheslav Argenberg · CC BY 4.0 · Wikimedia Commons · 記録日 2008
アレッポの大モスク
現地名: جامع حلب الكبير
アレッポの大モスクは大ウマイヤ・モスクとも呼ばれ、アレッポで最大かつ最古級のモスクである。1986年から世界遺産となっている古代都市アレッポのアル=ジャッルーム地区、アル=マディーナ・スークの入口近くに立つ。8世紀初めにウマイヤ朝の下で創建されたが、現在の建物の大部分は11世紀から14世紀のものである。
歴史
モスクは、ヘレニズム時代のアゴラ、のちの聖ヘレナ大聖堂の庭園と墓地の跡地に建てられた。後世の伝承によれば、カリフ、ワリード1世が715年に建設を始め、その後継者スライマーンが717年に完成させた。建築史家K・A・C・クレスウェルはこれをスライマーン一人に帰し、ジェア・L・バカラックは、彼らの兄弟で当時ジュンド・キンナスリーンの総督であったマスラマ・イブン・アブドゥルマリクを最も有力な施主と見ている。
北西隅にある高さ約45メートルのミナレットは、英語版ウィキペディアによれば1090年に着工され1094年に完成した。建築家はハサン・イブン・ムファッリジュ・アッ=サルミーニーである。アラビア語版ウィキペディアは着工をミルダース朝のサービク・イブン・マフムード(ヒジュラ暦472年)の時代としている。大火の後、ザンギー朝の君主ヌールッディーンがモスクを修復した。英語版ウィキペディアによれば1159年、ドイツ語版によれば1169年の火災の後である(アラビア語版は火災をヒジュラ暦564年/1168年としている)。1260年、モンゴル軍がモスクを破壊した。マムルーク朝はこれを修復・改変し、スルタン、カラーウーンは1285年に焼失したミフラーブを取り替え、ナースィル・ムハンマドの下で新しいミンバルが作られた。中庭とミナレットは2003年に改修された。[1][2][3]
建築
その平面はダマスカスのウマイヤ・モスクに似ている。幾何学文様の白黒の石で舗装された大きな中庭を柱廊が囲み、屋根付きの清めの泉2基と日時計がある。アラビア語版ウィキペディアは寸法を約105 × 77.75 mとしている。南側の礼拝堂は交差ヴォールトを持つ3つの身廊から成り、15世紀のミンバル、精巧に彫刻されたミフラーブ、そして洗礼者ヨハネの父ザカリアの聖遺物を納めるとされる廟がある。東の広間はマリク・シャー(1072–1092年)の治世のもので、北の広間はスルタン、バルクーク(1382–1399年)の下で改修された。
切石造りのミナレットは5層から成り、シュアイビーヤ・マドラサを除けば、アレッポのイスラーム時代のどの建物よりも多くの浮彫装飾を備えていた。ブリル社の『イスラーム百科事典』初版は、これを「ムスリム建築全体の中でまったく比類のないもの」と呼んだ。[1][3]
利用と意義
年表
ギャラリー
記録された状態
修復中 · 2026年時点
2012年10月13日、モスクは自由シリア軍と政府軍の衝突で深刻な被害を受けた。2013年4月24日にはミナレットが倒壊した。政府と反体制派は互いに相手を非難し、シリア人権監視団はそれ以前の戦闘による倒壊の可能性もあるとした。2012年から2016年の間に壁の一部が崩れ、礼拝堂が焼け、歴史的な遺物が失われた。英語版ウィキペディア(2026年10月)によれば、修復は2017年頃に始まり、モスクは2025年3月のラマダーンに再開され、13年間の閉鎖を経て2026年10月に全面的に再開された。[1][2][3]
見学
アクセスと滞在
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出典 (20)
- Wikipedia (en): Great Mosque of Aleppo rev. 1380505597 · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (de): Umayyaden-Moschee (Aleppo) rev. 243335235 · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (ar): جامع حلب الكبير rev. 76936213 · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- UNESCO World Heritage Centre: Ancient City of Aleppo · 2026-10-30
- Wikidata · CC0 · 2026-10-30
- Wikipedia (es) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (fa) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (fr) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (hi) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (id) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (it) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (ja) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (ko) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (nl) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (pt) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (ru) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (tr) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (ur) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- Wikipedia (zh) · CC BY-SA 4.0 · 2026-10-30
- OpenStreetMap · ODbL · 2026-10-30
Wiederherstellung durch Nur ad-Din: 1159 (en) vs. Feuer 1169 (de) vs. Feuer 564 H./1168 (ar). Minarett-Baubeginn 1090 (en) vs. unter Sabiq ibn Mahmud 472 H. (ar). UNESCO spricht von der „Großen Moschee des 12. Jahrhunderts“. Verursacher des Minaretteinsturzes 2013 umstritten (SANA: al-Nusra-Sprengung; Opposition: Panzerbeschuss; SOHR: möglicher Einsturz ohne Beschuss). Die deutsche Wikipedia nennt eine Komplettrenovierung bis 2005, en/ar eine Renovierung von Hof und Minarett 2003. Wiedereröffnung Oktober 2026 stammt nur aus der englischen Wikipedia (Revision 16.10.2026); Abschluss der Restaurierung nicht belegt, daher Status under-restoration. Deutscher Name: Wikidata-Label „Umayyaden-Moschee“, zur Unterscheidung von Damaskus mit Ortszusatz laut de-Wikipedia-Titel.